産前産後のお母さんやそのご家族へ、出産に関する体験談をお伺いするインタビュー企画。これからお母さんになる方やそのご家族には、不安・悩みも多いと思います。子育ては十人十色ですが、誰かの経験を知ることで選択肢が少しでも増え、悩みの緩和に繋がると思い、先輩たちの実体験をお届けします。

第13回目としてお話を伺ったのは青江 覚峰(あおえ かくほう)さんです。

青江さんは浅草にある湯島山緑泉寺の住職さん。お寺の業務だけでなく、料理僧として食育「暗闇ごはん」の運営、web上で仏教の普及活動「彼岸寺」など多岐に渡り活動されています。

第1部の産前では妊娠中の奥さまに対する接し方や立ち合い出産のエピソードをお伺いしました。第2部の産後では3人の娘さんの父親として育児で大切にされている事や、父親の自覚と役割などについてもお届けしています。またコロナ禍が家庭に与えたよかったと思う点についてもお届けしています。


<プロフィール>
青江 覚峰<Kakuho  Aoe>
東京生まれ、在住。浄土真宗東本願寺派 湯島山緑泉寺住職。米国カルフォルニア州立大学フレスノ校にてMBA取得。帰国後は寺役の他にも料理僧として料理、食育に取り組む。株式会社なか道(なかみち)にてブラインドレストラン「暗闇ごはん」や“食べるマインドフルネス”を伝える「お寺ごはん」等、日本文化や仏教を中心としたさまざまなイベントやワークショップを行っている。書籍の執筆、監修、メディアなど多岐にわたり活動。
プライベートでは20代に長女、30代に次女、三女を授かる3児の父。




第2部:産後

現代における父親の役割とは

コロナ禍が家庭にもたらした好影響




森山:里帰り出産にて長女さんを出産されましたが、いつくらいにご自宅へもどられたのでしょうか。

青江さん:妻と娘は産後1カ月ほどは静岡の実家ですごし、その後東京の自宅に戻りました。里帰り期間中に僕も2-3回は娘に会いに行きましたが、東京でオムツを買ったり、ベビーベットを組み立てたりと自宅で娘を迎える準備も進めていました。

いざ、娘が自宅に来ると、娘を中心に時間が流れるようになりました。

見てしまうんですよね。何時間見ていても全然飽きないと言うか、どうしても見てしまうんですから、赤ちゃんは不思議な存在ですよね。時間があれば妻も僕も、僕の両親もみんなで赤ちゃんである娘を囲んでのぞき込み、ちょっと動いただけでも「あ、動いたね」「あ、声がでたね」って愛でていました。



「姉妹は欲しいよね」と妻と決めていたこともあり、2年後に次女を、さらに2年後に三女を授かりました。

実は次女が妻のお腹の中に居た時、切迫早産で3カ月ほど妻が入院しなくてはならない状況がありました。まだ2歳になりたての長女は幼稚園にも入っていなかったので、僕は住職の仕事をしながら、毎日抱っこ紐と自転車で妻のいる病院まで通っていました。卒乳はしていたので食事や日々のケアはできますが、お母さんが家にいないというメンタルケアも大事だと思い行動していました。



森山:まだまだ甘えたい年頃ですもんね。3人のお嬢さんのお父さまである青江さんですが、いつくらいから自分が父親になったと感じるようになりましたか。

青江さん:正直、あまり父親としての自覚は感じていない気がします。“一緒に暮らす家族になった”と言う方が感覚的に近いかもしれないですね。

というのも父親の役割というのが不明確になってきているように感じていて。昭和の時代でしたら「父親とは外にでてお金を稼いでくる」のが父親の明確な役割だったと思うんです。でも僕の場合はお寺なので常に家で仕事をしていますし、今の時代、女性の方が稼ぎのいい家庭もたくさんありますよね。


逆に母親の役割ってけっこう明確なのかなと感じていて。赤ちゃんを生かすために授乳は欠かす事ができないですよね。もちろんご家庭の事情によりミルクで育てられたり授乳が難しい方もいますが、男性はどんなに頑張っても授乳はできませんからね。

それを考慮してみると父親である僕の役割って2つあると思っていて。1つは妻とは違う目線で子どもと接する。もう1つは妻のサポートをするという2点なのかなと。だから離乳食が始まるまでの生後半年くらいまでは何となく自分が父親になったという自覚もなく、そのまま家族になっていったという感じのような気がします。





森山:時が流れ「父親・母親のそれぞれの役割」から「親としての役割」という認識に変わってきているのかもしれませんね。ちなみに、奥さまに関しては妊娠前と出産後で何か変わったなと思う事はありますか。

青江さん:僕は「奥さんになったから、お母さんになったからと言って妻がそれ以前と変わった」とはとらえていません。「結婚したから、お母さんになったから」というのではなく、人間は常に変化し続けるものだと思っていますからね。

例えば映画を見て人生観が変わったりしますよね。それと同じで人間は常に何かの刺激を受けて変化し続ける生き物なんですよね。だから妻になっても、お母さんになっても彼女であることに変わりはないんです。確かに変化はあるかもしれませんが、それは人間として変化しているわけで、今日のみっちゃんであり、いつだってみっちゃんはみっちゃん。


でも、僕たち夫婦は本当に性格も好みも全然違うんです。唯一共通しているのは飲み歩くのが好きという事だけ。だからこそ、妊娠前にはたくさん喧嘩をしました。喧嘩というのかお互いが思っていることを伝え合い意見交換をし続けたんです。妥協はありません、お互いが納得いくまで話し合い、お互いのことを知り合うようにしたんです。夜中いっぱい話し合いをして明け方近くまで続く日も多々ありました。

眠かったし、結局はどちらかが譲るというのもなかったけど、子育てが始まる前にとことんお互いについて価値観のすり合わせができたのは、僕たちにとってとても良かった事だと感じています。

だってお互い知らない人同士だったんですから、まずは知る事から始めないと。知るためにはコミュケーションをしないと分からないですからね。とことん話し合い、お互いについて知っていく。



森山:お互いを知るためのコミュニケーション、確かに大事ですね。現在長女さんは高校生、次女さん、三女さんも思春期に差し掛かっていますが反抗期など感じますか。

青江さん:ちょうど長女が反抗期といわれる年齢に入ったくらいにコロナが騒がれはじめ、今に至ります。我が家の場合、僕も妻も家で仕事をしているので子ども達と常にコミュニケーションを取れていたのもあり、大きな変化は感じていません。同年代の子どもを持つ友人達と話していても、反抗期で大変というのはあまり耳にしない気がします。

そこにはコロナの影響も関係していると思うのです。コロナによりリモートや在宅ワークが一気に増え、親が家で仕事をしている姿を子どもが目にする機会が出来ました。

それまでは仕事と家庭は分けられて考えられてきた社会でしたが、コロナの影響で家庭の中に仕事が見え、家族に見せる一面とは違う仕事時の親の姿を見せることが出来ました。それは今までにない社会の変化だと思いますし、家庭内にあったそれまでの不安もだいぶ緩和されたのではないかと思うんですよね。



僕はどんな家庭内不和でも根本の原因はコミュニケーション不足から来ているものだと思っています。相手のことを知らない、知ろうとしない、知るつもりもないと思うからこそ会話やコミュニケーションを取ろうとしなくなり、お互いに距離が出来、齟齬が生まれ歯車が回らなくなっていくんですよね。

子育てでも同じで、思春期の子ども達に対してどう接していいのか分からないから会話をするのを辞めてしまっては、どんどん距離が開いていってしまうのではないでしょうか。

テーブルに顔を突き合わせて話をするほどではなく、例えば送迎のための車内時間でも十分だと思います。夕方にお腹がすいたならファストフード店でも行ってみるとか、一緒に時を過ごすことで友人関係や子どもの様子も見えてきます。僕も時間に追われる日々ですが、一緒に過ごせる時間をこれからも大切にしていきたいですね。




第2部終了 



■第1部「相手を知るためのコミュニケーションを」はコチラから



■第3部「子育ては煮物」はコチラから



*******************************************************

【ご紹介】

・青江さんが住職を務める緑泉寺はコチラ

https://ryokusenji.net/

・青江さんが行っている「暗闇ごはん」など、企業研修を運営する「株式会社なか道」はコチラ

https://nakamichi.world/




インタビュー/ライティング:森山 千絵