産前産後のお母さんやそのご家族へ、出産に関する体験談をお伺いするインタビュー企画。これからお母さんになる方やそのご家族には、不安・悩みも多いと思います。子育ては十人十色ですが、誰かの経験を知ることで選択肢が少しでも増え、悩みの緩和に繋がると思い、先輩たちの実体験をお届けします。

第13回目としてお話を伺ったのは青江 覚峰(あおえ かくほう)さんです。

青江さんは浅草にある湯島山緑泉寺の住職さん。お寺の業務だけでなく、料理僧として食育「暗闇ごはん」の運営、web上で仏教の普及活動「彼岸寺」など多岐に渡り活動されています。

奥さまに出会われてから2年ほどで結婚、3回の流産経験を通して妊娠中にパートナーをサポートすることの大切さを再認識し、実行されます。男性視点でみる妊娠や子育て、奥さまであるパートナーの変化など体験談をお届けします。


<プロフィール>
青江 覚峰<Kakuho  Aoe>
東京生まれ、在住。浄土真宗東本願寺派 湯島山緑泉寺住職。米国カルフォルニア州立大学フレスノ校にてMBA取得。帰国後は寺役の他にも料理僧として料理、食育に取り組む。株式会社なか道(なかみち)にてブラインドレストラン「暗闇ごはん」や“食べるマインドフルネス”を伝える「お寺ごはん」等、日本文化や仏教を中心としたさまざまなイベントやワークショップを行っている。書籍の執筆、監修、メディアなど多岐にわたり活動。
プライベートでは20代に長女、30代に次女、三女を授かる3児の父。




第1部:産前

「相手を知る」ためのコミュニケーションを  

人生50年。自分に何が出来るのか


シロツメクサ




森山:妊娠までの経緯を教えていただけますか。

青江さん:アメリカから帰国後、茶道教室を運営している親族のお手伝いをしていた時に、妻と出会いました。楽しく飲み歩く事がお互いに共通の趣味でしたので、一緒に食事をするようになり、出会って2年弱で結婚しました。

僕も妻も一人っ子。お互いに兄弟への憧れもあり「子どもは複数人欲しいね」と話していたので、結婚したら子どもを授かりたいと思っていました。

しかし1回目、2回目と妊娠には至ったのですが出産には結びつかず流産を経験しました。3回目の妊娠が分かった時「これは僕が全面的にサポートしないといけないな」と再認識し、妻には極力負担がかからないように、買い物や食事など僕ができる範囲のサポートを行いました。



森山:流産を経験されて辛い時期があったんですね。それでもお子さんを願った理由はなぜでしょうか。

青江さん:僕は人間の人生は50代までと思っているんです。僕の父親も50歳の時にくも膜下出血で一度倒れていますし、兄弟の様に慕っていた近所のお兄ちゃんも50歳手前で急死されてしまいました。人生何が起こるは分かりませんが、50という年齢は1つの区切りでもあるのではないかと思うようになり、自分が50代になるまでに何が出来るのかを考え、生きるようになりました。

子どもに関しても同じで、自分が20代のうちに子どもを授からなければ、50代で未成年を残すことになると思いましたし、兄弟が欲しいと願っていたので第1子は20代で授かりたいなと思ったんです。

その理由もあって流産という悲しい経験はしましたが、子どもを願う気持ちは変わりませんでしたね。



森山:人生50年と捉えていらっしゃるとは驚きですね。その後、妊娠中の奥さまに体調の変化など起きましたか。

青江さん:妊娠初期の頃、僕の友達のお坊さんが家に遊びに来てくれたんです。妻も彼とは初対面ではなかったのですが、妻が彼の顔を見た瞬間「なんか…気持ちが悪い…」と言ってつわりが始まりました。本当に突然始まり驚きましたが、いまでは笑い話になっています。

また昨日まで好んで食べていたご飯を、翌日には受け入れられなくなったりする日もありました。つわりも食べ物の好みについてもですが「妊娠というのは女性にとってとても大きな変化がおきるものなんだ」と実感しました。自分以外の生命が自分の体の中にいるわけだから、体調や好みの変化も当然の症状なのですよね。「こちらも柔軟に受けいれ対応しなければお互いにズレが生じてしまうよな」と思い、以前よりお互いに会話をし、相手の事を知るように心がけました。





森山:不和になりそうな状況こそお互いを知るためのコミュニケーションが大切なんですね。出産はどのように進んでいったのでしょうか。

青江さん:妻には体を第一に過ごしてもらったのもあり、お腹の赤ちゃんは順調に育っていきました。初めての分娩はメンタル的にも安心できる里帰り出産の方がいいだろうと話し合い、妻は実家がある静岡県に予定日の3か月前くらいから帰りました。

里帰り出産に選んだ病院は「Baby Friendly Hospital(※1)」という「赤ちゃんファースト」の病院でした。とにかく赤ちゃんを第一に考える病院なので、お母さんにもとても手厚くサポートをしてくれるのです。

立ち会い出産希望だったので、予定日の前日に僕も東京から静岡へかけつけました。すると分娩に対する妻の不安を和らげてくれる存在として、僕のことも温かく歓迎してくれました。

しかしいざ分娩が終わると赤ちゃんファーストなので、何よりも赤ちゃんが大事なんですね。

分娩が終わったあとのお母さんもそのまま、お父さんになった僕なんてさらに放置状態。無事に分娩が終わった瞬間から「お父さん、もう帰っていいですよ」と言われてしまいました。夜の11時も過ぎていたので終電もなく、シーンと静まり返った駅前の公衆電話でタクシーを呼び、30分ほどポツンと待ち帰宅しました。タクシーの運転手さんには「若いのに、こんな時間まで飲み歩いていいご身分だねー」みたいに言われたりして、ある意味で記憶に残る体験でした。



森山:印象深いエピソードですね。立ち会い出産を経験され、初めて娘さんを見た時はいかがでしたか。

青江さん:予定日前日から病院に入り、娘が生まれたのは予定日翌日の夜でした。2日以上かけて分娩に取り組んでいた妻を横で見てきて、まずは何よりも「ありがとう」と思いましたね。出産までに至る妊娠期間もそうですし、何時間も陣痛の痛みに耐えながら新しい命を産み落としてくれた妻には感謝とお疲れ様という気持ちが自然に出てきました。

その一方で娘に対しては……実はあまり覚えていないです。「あぁ無事に産まれてきてくれたんだな」「元気に動いているな」と思うくらいで。一緒に長い時間を過ごしてきた妻への感謝の方が大きかったのもあるかもしれませんね。




第1部終了 


※1Baby Friendly Hospital

(略:BFH)とは、ユニセフとWHOから認定された母乳育児支援を行っている病院。両団体が推進する「母乳育児のための10か条」等に沿った母乳育児支援を行っている病院に対し、認証が贈られる。



■第2部「親の役割」についてはコチラから



■第3部「子育ては煮物」についてはコチラから



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【ご紹介】

・青江さんが住職を務める緑泉寺はコチラ

https://ryokusenji.net/

・青江さんが行っている「暗闇ごはん」など、企業研修を運営する「株式会社なか道」はコチラ

https://nakamichi.world/



インタビュー/ライティング:森山 千絵