産前産後のお母さんやそのご家族へ、出産に関する体験談をお伺いするインタビュー企画。これからお母さんになる方やそのご家族には、不安・悩みも多いと思います。子育ては十人十色ですが、誰かの経験を知ることで選択肢が少しでも増え、悩みの緩和に繋がると思い、先輩たちの実体験をお届けします。

第18回目としてお話を伺ったのは丹後 佳代(たんご かよ)さんです。

丹後さんは大学を卒業後、小学校の先生になり夢を叶えました。その後、保険代理店業・不動産売買業を営む中で、ご主人と共に廃業寸前のタオル工場を引き継がれます。逆境の中、さまざまな挑戦をし続け「しあわせを織りなす」という意味を込めたオリジナルブランドOLSIA(オルシア)を展開されています。

1部では不妊治療経験から出産についてでしたが、2部では子育てに関してです。2児の母である丹後さん、お子様が小さかった時は1日2時間程度しか子ども達と過ごせなかったほど、多忙だったと言います。この生活を続けていきたいのか、自分は何がしたいのかと“自分の声を聴く大切さ”に気が付き、思考や行動が変わっていったと言います。


<プロフィール>
丹後 佳代<Kayo Tango>
愛媛県出身、在住。兵庫教育大学 学校教育学部を卒業後、長年の夢であった小学校教諭として従事。その後、保険代理店業・不動産売買業に携わる中、廃業寸前のタオル工場を旦那さんと引き継ぐ事を決意。知識ゼロ経験ゼロ、取引先もほぼゼロ売上ゼロの状態からスタートさせる。オリジナルタオルブランド「OLSIA」を立ち上げ、展開中。その他、講演会やよみきかせ活動などでも活躍されている。 プライベートでは2児の母。




第2部:産後

牛乳ください怪獣

自分の声を聴く


赤ちゃん


森山:長女さんを出産された後はどのように過ごされましたか。

丹後さん:1週間ほどで退院し、育休を取らずに復職しました。自分が抜けた後の人員配置が難しかったのもありましたが、経営が夫家系の親族中心だったのもあり、休まなくても続けられる方法を選びました。

職場に娘を連れて行き、一緒に出勤していました。たくさんの人が抱っこしてくれたり面倒みてくれたので、本当に助かりました。働き続けるのは大変でしたけど、私にとってはリフレッシュできた時間にもなり合っていましたね。

しかし娘もぐんぐん成長していきます。ねんねの動かない時期はまだ対応できたのですが、動きが大きくなるにつれて子連れ出勤に限界を感じました。この子は「自分の意志を持って人生を生き始めたんだな」と感じ、保育園を探し入園しました。



森山:たくさんの大人の目があるのは子育てにおいていい環境でしたね。

初めての子育ては戸惑いの連続だったと思いますが、思い出深いエピソードはありますか。

丹後さん:毎日があっという間に過ぎていく日々でしたが、夜中に怪獣に会えました。と言うのも、長女は毎晩「牛乳ください」と起きてしまいました。しかも温めた牛乳が欲しいと夜中に起きるんです。初めの頃はどうして起きてしまうんだろうかと、こちらの睡眠も妨げられるためマイナスな気分になっていましたが「これは“牛乳ください怪獣だ”」と思うようになると、なんだかワクワクし始めました。

起きている現象は同じでも、こちらの捉え方次第で自分の感情が大きく変わりました。「今晩も怪獣に会えるかな?」と思うと会えた時が嬉しくて、よく覚えています。 また長女は喘息があり3歳になるまでに2-3回入院しています。娘が入院した時は私も一緒に入院します。病院から出社し、昼間は実家の両親に見てもらい、仕事が終わると病院に戻り一緒に寝るという日々を過ごしました。協力してくれる人達がいたからこそ乗りきれたと思います。





森山:“牛乳ください怪獣“、愛おしいですね。

育休も取らずに働き続けた丹後さんですが、仕事と育児のバランスについてはいかがでしたでしょうか。

丹後さん:長女が3歳になった時、2人目の次女も生まれました。

毎日は慌ただしく、朝7時に起床、支度をして7時半過ぎに保育園に預けていました。夕方のお迎えは両親にお願いし、そのまま実家で子ども達はお風呂と夕飯を済ませ、夜の7時くらいに私が実家にお迎えへ行き、家に帰って就寝する日々。平日は2時間くらいしか子ども達と接する時間がない、そんな日常でした。

仕事が忙しくなり、自分の心に余裕がなくなると「自分は何も出来ていない」というマイナスな気持ちに引きずり込まれていきました。子ども達の成長をそばで見守れない歯がゆさ、初めて話した言葉も、初めて歩いた瞬間も見ていません。どうやっておむつが外れたのか、お箸を持てるようになったのかも全て保育園の先生が教えてくれた事。自分は何も出来ていない。子ども達に何も教えてあげられていない。仕事ばかりしていて、その仕事も納得がいくように出来ていない。自分は何がしたかったんだろうか、ずっとこのままでいいのだろうかと自問するようになりました。

これがいい方法なのか、この道以外にも選択肢はあるのではないか、自分は本当にこの生き方を続けていきたいのかと日々の忙しさに追われ流されていくのではなく、自分の声を聴いてみようと思いました。


それまでは仕事と育児に対してバランスを取ろうとしていました。円グラフの中に割り合てるように仕事の量が多い時は育児時間を減らす、そうやって全体の量を決めていたんです。でもフッと「“仕事と育児”は“睡眠と食欲”と同じなのでは」と思いました。

睡眠と食欲はどちらも生命にとって欠かせない活動であり欲望です。夢中になっている事があって睡眠も食も一時は抜けますが、なくし続けられません。また睡眠が増えたから、食欲が減る事もなく、両者間でのバランスは発生していません。

私は無理に仕事と育児を天秤にかけてバランスを取ろうとしていましたが、睡眠と食欲のように同じような捉え方をしてみたら、無理にバランスを取ろうとするのではなく、自分がしたい方へ行動すればいいのだと思ったんです。自分の中にあるもの、もっと自分に聞いてみてあげないといけないなと感じ、夫に働き方改革の提案をしました。





森山:意識するベクトルを変えたんですね。その後どのような変化がありましたか。

丹後さん:退勤時間を早くし、夕飯は子ども達と食べれるようになりました。自分が本当にやりたいと思っているのかをまずしっかり聴き、どうやったらそれを実行できるのかという選択肢を考え行動する 、という意識を変えたのは大きかったです。

保険業からタオル工場を引き継いだ時、従業員はいましたが取引先もほぼゼロ、タオルの知識もゼロのところからスタートしました。首都圏への出張も多い時には週2-3回あり、ほぼ実家の両親に子ども達を任せていました。

そんな時によくかけられた言葉は「子ども達がかわいそう」「寂しい思いをしているはず」というものでした。不思議と父親が出張に出てもそんな言葉はかけられないのに、母親が家を空けて仕事をしていると周囲から言われるんです。お相手の方は何の気なしにかけられた言葉かもしれませんが、私は自分がやりたいと思って仕事をしていたので子ども達に対して引け目を感じる必要はないと思っていました。


大人の期間は幼少期に比べるととても長いです。もちろん、働く年月も長いですから子ども達には仕事に対してマイナスな感情を持って欲しくないと思っていました。もちろん仕事が大変な時もしんどいと思う時もあります。しかし親が子どもの前で「働く事は大変だ」「仕事がつらい」と常に言っていたら、子ども達は未来への希望が湧きにくくなってしまいますよね。大人になるのも、仕事をするのも楽しみに成長していって欲しいなと思い、自分のしたいと思っている声にしっかり耳を傾けるようにしています。




第2部終了 




■第1部「誰にも相談できなかった不妊治療」はコチラから

インタビュー丹後さん


■第3部「大切な3つの理由」はコチラから



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【ご紹介】

丹後さんが運営されている「しあわせを織りなす」という意味のタオルブランド“OLSIA” 

SNS: https://www.instagram.com/invites/contact/?i=deaw66w3agek&utm_content=36khxal



インタビュー/ライティング:森山 千絵