インタビュー丹後さん

産前産後のお母さんやそのご家族へ、出産に関する体験談をお伺いするインタビュー企画。これからお母さんになる方やそのご家族には、不安・悩みも多いと思います。子育ては十人十色ですが、誰かの経験を知ることで選択肢が少しでも増え、悩みの緩和に繋がると思い、先輩たちの実体験をお届けします。

第18回目としてお話を伺ったのは丹後 佳代(たんご かよ)さんです。

丹後さんは大学を卒業後、小学校の先生になり夢を叶えました。その後、保険代理店業・不動産売買業を営む中で、ご主人と共に廃業寸前のタオル工場を引き継がれます。逆境の中、さまざまな挑戦をし続け「しあわせを織りなす」という意味を込めたオリジナルブランドOLSIA(オルシア)を展開されています。

1部では妊娠から出産までです。現在2児のお母さまである丹後さんですが、流産を機に不妊治療を経験されます。ネットもなく情報が少ない中での不妊治療にはとても葛藤があったと言います。丹後さんの想いを伺いました。


<プロフィール>
丹後 佳代<Kayo Tango>
愛媛県出身、在住。兵庫教育大学 学校教育学部を卒業後、長年の夢であった小学校教諭として従事。その後、保険代理店業・不動産売買業に携わる中、廃業寸前のタオル工場を旦那さんと引き継ぐ事を決意。知識ゼロ経験ゼロ、取引先もほぼゼロ売上ゼロの状態からスタートさせる。オリジナルタオルブランド「OLSIA」を立ち上げ、展開中。その他、講演会やよみきかせ活動などでも活躍されている。 プライベートでは2児の母。




第1部:産前

誰にも相談できなかった不妊治療

ワクワクに感じられた陣痛


結婚 


森山:妊娠までの経緯を教えていただけますか。

丹後さん:夫とは同じ高校で、彼が一学年上の先輩でした。学生時代は面識がなかったのですが、私のいとこが夫と同じサークルだったのもあり、社会人になってから知り合いました。その後お付き合いをし、25歳の時に結婚しました。

結婚した時はまだ周囲にも既婚者が少なく、仕事に夢中だったのもあり“子ども”に対して「自然に出来たらいいね」程度で思っていましたが、3年目に流産してしまいました。当時は勤務時間とは別で資格取得のためにダブルスクールにも通っていたくらい忙しくしていた時期でした。

そんな時に流産し、産婦人科の先生にも「子どもが欲しいと思っているなら、不妊治療も考えた方がいい」と言われたのです。友達もだんだんと既婚者が増え、お母さんになっていく姿を見るようになり、自分の中でも少しずつ焦りの感情が芽生えてきていました。

不妊治療と聞いても何をするのか、費用はどれくらいかかるのか等の知識がなく、とても戸惑いました。周囲にも経験者はいないし、当時はネットもありませんでしたからね、情報が少なかったです。本や雑誌で調べてみても「痛い」「怖い」などのマイナスな言葉ばかりが目に入り、とても積極的にはなれませんでした。

しかし周囲から「子どもはまだいないのか」「作らないのか」など、結婚すると言われるんです。現在と違ってストレートに言われていたので、自分の年齢も考え不妊治療に取り組もうと決めました。



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森山:いまは欲しい情報はインターネットで調べられる時代になりましたから、当時のお気持ちは大変だったとお察しします。

丹後さん:誰にも言えなかったし、相談できなかったのは辛かったです。治療の度に会社を休まなければならず、誰にも言えない孤独感は大きかったです。いつ終わるのか、終わりがあるのかも分からない不妊治療。生理が毎月来るたびに「あぁ今回もダメだったかぁ」と人知れず落ち込み、いつの間にか赤ちゃんができる事がゴールになっていました。



森山:終わりの見えない目標は不安感を増幅させますよね。その後、どれくらい治療されたのでしょうか。

丹後さん:幸いな事に治療を始めて1年後に赤ちゃんを授かりました。不妊治療をしている人の多くはそうかと思いますが、妊娠検査薬を何本か持っているんです。それで「今月もダメだろうな」と思って検査してみたのですが、うっすらと反応が見えました。「うそでしょ、このタイミングで?」と半信半疑になり、もう一本試してみたらはっきりと反応が確認できました。

なんだかしみじみしましたね。もっと「嬉しい!」と両手を挙げて喜ぶものかと思ったのですが「あぁ、このタイミングで私のところに来てくれたんだな」とじっくり深く喜びを感じました。



森山:“しみじみと感じた喜び…”嬉しさの深みを感じます。

妊娠中の体調に変化などはありましたか。

丹後さん:妊娠中は不思議なくらい何もなかったです。つわりも腰痛もなくて、今まで通り働き続けられました。しかし、その時に働いていた会社は従業員が私を入れても5人程度の小さい会社だったので、産休育休中の人員配置を考えねばならず、しばらく言えませんでしたね。結局、体調がよかったのもあり、出産日の前日まで働き続けました。



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森山:前日まで働かれたとは驚きです。

丹後さんは不妊治療の経験を公開されていますが、何か理由があるのでしょうか。

丹後さん:私が不妊治療をしていた時は本当に情報が少なかったです。誰かに相談したくても誰に相談していいのかも分からないし、とてもプライベートな事だから聞けないというのがありました。だからこそ、自分から公開し同じように悩んでいる人達の役に立てたらいいなと思ったのです。

そうして公開してみると、自分が思っている以上に多くの方から相談を受けるようになりました。実際の治療の流れや体験してみてどうだったのか、パートナーにどんな言葉をかければいいのかなど、さまざまな方から質問や相談をお受けする機会をもらい、自分にとってもいい経験になったなと思っています。出会う事がなかったかもしれない人達とのご縁も、不妊治療がつなげてくれたとも言えますからね。



森山:公開するという勇気に多くの方が救われたと思います。

分娩はどのように進んでいったのでしょうか。

丹後さん:前日まで仕事をしていたのですが、夕方になり陣痛が来たため、夫と共に病院へ向かいました。どんどん強くなっていく陣痛の痛みでしたが「いよいよ赤ちゃんに会える!この痛みが強くなるほど赤ちゃんに会える時間が近づいて行っているんだ!」と思って、ワクワクが止まりませんでした。

4時間の分娩時間で無事に長女を出産しました。


初めて我が子を見た時「生きてるんだ」と思い感動しました。それまで会いたくて仕方がなかったし、少し前までは私のお腹の中にいたのに、出てきて泣いて呼吸をして、一生懸命生きている姿を目の当たりにし、生命力の素晴らしさに胸が熱くなりました。自分が生命を産み落とした事実にも達成感があり、嬉しかったですね。




第1部終了 



■第2部「自分の声を聴く」はコチラから



■第3部「大切な3つの理由」はコチラから



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【ご紹介】

丹後さんが運営されている「しあわせを織りなす」という意味のタオルブランド“OLSIA” 

SNS: https://www.instagram.com/invites/contact/?i=deaw66w3agek&utm_content=36khxal



インタビュー/ライティング:森山 千絵