産前産後のお母さんやそのご家族へ、出産に関する体験談をお伺いするインタビュー企画。これからお母さんになる方やそのご家族には、不安・悩みも多いと思います。子育ては十人十色ですが、誰かの経験を知ることで選択肢が少しでも増え、悩みの緩和に繋がると思い、先輩たちの実体験をお届けします。

第15回目としてお話を伺ったのは池田 恵子(いけだ けいこ)さんです。

池田さんは看護師、助産師を経て現在はヒプノセラピー(※1)(潜在意識)を用いたコーチングや、自宅出産サポートをされていらっしゃいます。

4人のお子さんの親である池田さんは20歳初めに妊娠、2度の出血で休職しながらも大学病院にて長女さんを出産しました。1人目の分娩で感じた理想の分娩との差を解消するため、2人目以降は自宅出産を選択されます。病院と自宅出産との違いやその時に感じた想いとは。お話を伺いました。


<プロフィール>
池田 恵子<Keiko  Ikeda>
愛知県出身、東京都在住。松蔭看護専門学校を卒業後、大学病院に勤務。勤務1年目にご主人と出会い結婚・妊娠、一人目を出産。その後、助産師資格を取得。長女の摂食障害を機に潜在意識を取り入れたヒプノセラピーに出会い、メンタルケアの重要性を再認識する。
プライベートでは20代で長女、長男を出産。その後、次男、三男を出産し4人のお子様のお母さま。




第1部:産前

2度の出血による休職

自宅出産という理想に近い分娩


結婚 


森山:妊娠までの経緯を教えていただけますか。

池田さん:専門学校卒業後、大学病院で勤務していた時に同じ職場である彼に出会い結婚しました。子どもは欲しいと願っていたのもあり、すぐに妊娠し嬉しかったのを覚えています。

私が妊娠したのは勤務1年目の20代前半でした。憧れていた大学病院勤務、同僚に負けないようにと意地を張り、妊娠していても3交代制をこなして周囲と同じように働いていました。

しかし昼夜逆転の生活や睡眠不足、仕事のストレスなどが重なり、安定期前のある日出血してしまったんです。すぐに診察してもらうと切迫流産(※2)との診断で1か月の休職となりました。

20代の若かくて体力もあった時だったからか「なんで休まなきゃいけないんだろう」という疑問感でいっぱいでしたね。「赤ちゃんが出てきそうになってきているだけで、私の体は元気だしみんなと同じように働きたい」と、休職中も仕事への熱意は変わりませんでした。


約1か月、安静に過ごし安定期も過ぎたので以前と同じように3交代制をこなし、みんなと同じ環境で再び働き続けました。

そんな生活をしていた妊娠7か月の時に再び出血してしまい、1か月の入院生活となりました。元気なのに安静にしていないといけない、同僚は働いているのに私だけはベッドの上にいなければいけないという状況は苦しく、メンタル面に影響しましたね。



森山:2度の出血と入院、大変でしたね。憧れていた職業への情熱が強かったのですね。

池田さん:若かったというのもあると思いますけどね。とにかく周りに負けたくなかったし、命の重みを今ほど深く考えてなったのかもしれません。自分では当然コントロールなんてできないのに、赤ちゃんや自分の命までコントロールできると思っていた気がします。

点滴が外せない日々を過ごしましたが、何とか妊娠37週の正期産(臨月)を迎えることができ、赤ちゃんが出てきてもいい時期になり「いよいよ分娩なんだな」という気持ちになりました。


実は私の夫は主治医でもあります。主治医である夫、仲間である同僚がいる大学病院で分娩を決めていましたが、私は分娩に関して医療的介入は極力してほしくないとみんなに伝えていました。なるべく自然のタイミング、私と赤ちゃんの自然の力で産みたかったんです。

切迫流産だったのもあり、点滴を外せばすぐに分娩になると思っていたのですが、予定日を過ぎてもその気配はありませんでした。

主治医である夫からは陣痛が進むように「歩け、動け」と言われ、何とか陣痛が始まりました。促進剤も使用せず、分娩台に上がると夫が眉間にしわを寄せ、怖い顔をして足の間で経過を見守っています。主治医なのですから当たり前なのですが、私が予想していた立ち合い出産とはかけ離れた分娩になりました。そして36時間の長丁場の末、長女が無事に生まれてきてくれました。





森山:主治医がご主人という立ち合い出産もめずらしいですからね。池田さんが想像していた立ち合い出産とは違ったとのことですが、具体的に何が異なりましたか。

池田さん:今までの経験上、立ち合い出産で付き添われるご主人はなんだかそわそわオロオロしてて、でも目の前で頑張ってくれている奥さんと生まれてきてくれた赤ちゃんに感動する… というような出産を思っていたのですけどね。

実際、長女が生まれてきてくれた時に夫が言った一言も「大きな子が出てきたぞ」で、私が想像していたものとは違いました。今思うと、夫のあの一言も愛情があっての言葉だったと理解できますが、あの時に感じた私の理想とのズレは、妊娠中の夫婦間コミュニケーション不足が原因だったんだろうなと思ったんです。

私も、私たちもどんな分娩にしたいのか、どんなサポートをしてもらいたいのかなどキチンと話せていなかったから理想とは違うものになったんだと思いました。

なので2人目以降は自宅出産を選びました。私・夫・家族にとって一番理想に近い分娩ができるのは何だろうと思った時、自宅出産がいいなと思い決断しました。



森山:大学病院から自宅出産へ。池田さんが感じた双方との違いは何でしょうか。

池田さん:あくまで私の意見ですが、出産の主役は妊婦さんとそのご家族です。でも病院だとこれから分娩になる妊婦さんが病院に来て、医療従事者に対して「お願いします」と言いますよね。気も使うし遠慮もあると思います。

それが自宅出産だと、助産師さんが自分の家に「お邪魔します」と言って来てくれるんです。自分や家族の中に助産師さんが来てくれる、その感覚が違うかなと思いますね。

実際、2人目を産んだ自宅出産の時は、陣痛を促進させるために裏の小山までハイキングに出かけたり、陣痛が来ている中で夫と一緒にお風呂に入ったり。さすがに一緒にお風呂に入る気恥ずかしさもありましたが、体を洗ってもらったり今まで過ごしてきたことを話していると「自分では気が付いていなかったけど夫はこんなにサポートしてくれていたんだ」とより深く実感し、夫に対して素直に感謝できたんですよ。

そして私も夫も、娘も助産師さんも、みんな一緒になって分娩を迎え、いざ赤ちゃんが生まれてくると本当に嬉しくて、それぞれが自分の役割を成し遂げた達成感でいっぱいだったんです。夫は泣きながら「頑張ったね」「ありがとう」と言ってくれたし、娘はお姉ちゃんになれた喜びを感じていたし、みんなの幸せがあふれているのを感じられました。




第1部終了 


※1 ヒプノセラピー(日本訳:催眠療法)

「催眠」と呼ばれる変性意識状態を利用して潜在意識に働きかけ、心因性の問題の低減、解消を図るセラピーの一種。(一般社団法人日本臨床ヒプノセラピスト協会HPより一部抜粋)


※2 切迫流産

胎児が子宮内に残っており、流産の一歩手前である状態を「切迫流産」と言います。「流産」は妊娠継続不可能ですが、「切迫流産」は妊娠継続できる可能性があります。(公益社団法人日本産科婦人科学会HPより一部抜粋)



■第2部「家族の問題を機に出会えたもの」はコチラから



■第3部「まずは親自身が幸せである事」はコチラから



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【ご紹介】

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インタビュー/ライティング:森山 千絵