産前産後のお母さんやそのご家族へ、出産に関する体験談をお伺いするインタビュー企画。これからお母さんになる方やそのご家族には、不安・悩みも多いと思います。子育ては十人十色ですが、誰かの経験を知ることで選択肢が少しでも増え、悩みの緩和に繋がると思い、先輩たちの実体験をお届けします。
第12回目としてお話を伺ったのは木村 尚子(きむら なおこ)さんです。
木村さんは、国産のお米と野菜でできた「おやさいクレヨン」をはじめ、プロダクトやグラフィックデザインを手掛けるmizuiro株式会社の代表取締役です。
第1部では出産までのお話として、分娩時に感じた神秘的な感覚についてお届けしました。第2部では子育てです。木村さんが会社員から起業家へと変化していく様子を近くで見てきた娘さん。控えめだった娘さん自身にも変化があったと言います。
<プロフィール>
木村 尚子<naoko kimura>
青森県出身、東京都在住。デザイン系の専門学校を卒業後、青森県内の情報誌会社へ就職。デザイン会社勤務を経て2012年にフリーランスデザイナーとして独立。同年、廃棄となる野菜からクレヨンを製造する「おやさいクレヨン」を考える。約2年の開発期間を経て販売。国内外からも大きな反響となり、2014年法人化し「mizuiro株式会社」を設立。新しいクレヨンの開発と同時に、チャリティーイベントや震災孤児への寄付、保育園への寄贈など、親子に寄り添った活動を続けている。
プライベートでは20代に長女を出産。
第2部:産後
保育園へ預けることへの罪悪感
働く姿を見てきた娘の変化
森山:初めての育児はどのように進んでいったのでしょうか
木村さん(以下敬称略):出産後は実家に戻りました。
会社には無理を言って3カ月間だけ休暇期間をもらっていたので、産後2ヵ月ほどで復職する予定でした。
初めての子育てや授乳に戸惑うことも多かったですが、復職に向けて準備をしなければならなかったため、必死に毎日を過ごしました。
また教育方針に共感できる園長先生に出会い、0歳児から預けられる保育園も見つかりました。しかし、当時はまだ0歳児保育が珍しい時代。地方では0歳から預けられる保育園も少なかったですし、世間に対する母親像も今とは異なっていました。まだ小さい0歳児を預けて働きにでる親に対し「かわいそう」という声が大きかったです。
私も出来るなら娘ともっと一緒に居たいですが、娘と一緒に生きていくためには私が働かなければなりません。小さな我が子を預けることに罪悪感を感じ、何度も「これでいいのだろうか」と悩みました。
それでも前を見なくては、今を生きていけません。入園に必要なカバンを手作りしたり、今の自分が娘にしてあげられることをしようと、できるかぎりの努力をしました。
森山:生後2か月での復職。まだ母体も回復しかけで大変な日々だったとお察しします。復職後、生活はいかがでしたか。
木村:復職後はフルタイムで働きました。3カ月間しか休んでいなかったので、仕事に対するブランクはあまり感じませんでしたが、情報誌の仕事は発刊に合わせて日々のスケジュールが大きく変動します。1人だった時とは異なり、仕事後にお迎えに行き、育児をして毎日を過ごすのは目まぐるしい日々でした。
時には残業が長引き保育園のお迎えに行けないときもありましたが、その度に家族が助けてくれ、一緒に娘を育ててくれました。
日々の時間もですが、経済的にもギリギリの生活でした。毎日のように長時間保育だったので保育料も高く、実家を出て近くのアパートで暮らしていたので家賃もかかります。母子家庭の手当をもらってはいましたが食費や光熱費を差し引くと、娯楽に使える資金はほとんど残っていませんでした。
少しでも生活費の足しになればと正社員の仕事以外にも、お弁当屋さんや土日のみコンビニでアルバイトをしたりと身を削り働き続けました。
会社や友達など周囲では家族で旅行にいったり、遊園地にいったりと、楽しそうな話を聞くのが辛かった時期もありました。我が家の場合、私が連れて行ってあげられない分、母が娘を連れて出かけてくれたので、娘も不満はなかったように感じます。そういった娘の精神面でも母には本当に感謝しています。
森山:支えてくれる人の存在は大きいですね。大変な日々の中、くじけずに続けて来られた理由は何かありますか。
木村:そうですね、ただただがむしゃらに働いていただけですかね。体が健康で動けるうちは働くものだと思っていますし、真面目で若かったというのもあったと思います。
ただ、そんな仕事と育児に追われる日々にも限界は感じていました。もっと子どもとの時間を作りたい。自宅でできる仕事なら子どもとの時間が作れるのではないか、という思いで会社を退職し、机ひとつからデザイン事務所を立ち上げました。
独立し自宅で仕事をするようになると、自分で時間をコントロールできるようになったので生活スタイルが少しずつ変わっていきました。同年から「おやさいクレヨン」についても着手し始め、ありがたいことに多くの方にご支持を頂くようになりました。
海外の展示会に出展する機会をいただき、娘も一緒に視察に出かけました。その経験は娘にとってもいい機会になったと思います。それまでの娘は控えめで目立つのが苦手なタイプ。自分の思っていることも親である私にでさえ、はっきりと言わないような性格でした。
それが原因だったのもあるのか、小学校に上がった時も「友達がいないから学校に行きたくない」と門の前で泣く時もしばしありました。周りにも同じように泣いている子、もっと大声で泣きじゃくっている子もいたので、当時の私も何となく娘をなだめて登校させていました。
ところが高学年になり、一緒に海外に行ったり、私の仕事ぶりを見るようになると、娘も少しずつ明るくなり、自然と自分から問題を解決できるように成長していってくれました。
とても忙しい日々でしたが、私の仕事ぶりを見せられたのはよかったなと感じています。何かに挑戦する姿や自立することを身をもって伝えられたので、言葉にしなくても自然と娘は感じ取ってくれたのかなと思いますね。
森山:親の働く姿を見せられる人も限られていますから、貴重な体験だったかもしれませんね。
木村:現在、娘も大学生となり、昨年の春から私も一緒に青森から東京へ基盤を移しました。娘にとっては華の大学デビューだったかもしれませんが、まさか私も一緒に上京してくるなんて夢にも思わなかったと思います。
青森は生まれ故郷でこれまでずっとお世話になった土地です。旧友との別れに寂しさも感じましたが、東京はビジネスチャンスも多く、新しい挑戦がしやすい場所だとも思っています。娘は大学生になりましたが、社会人になるまでは子育ては続くものとも思っています。1人暮らしをして自立もして欲しいですが、もう少し一緒に子育て時間を楽しみたいとも思いますね。
第2部終了
■第3部「人生は自分で構築していく」はコチラから
■第1部「地球と自分がつながった瞬間」はコチラから
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【ご紹介】
木村さんが代表を務めるmizuiro株式会社。
「親子の時間をデザインする」デザインの会社はコチラから
インタビュー/ライティング:森山 千絵