産前産後のお母さんやそのご家族へ、出産に関する体験談をお伺いするインタビュー企画。この企画を通して、これからお母さんになる方やそのご家族の不安・悩みの緩和だけでなく、出産経験者には自身の体験を振り返る機会にもなります。また皆さんの想いが自由に言える場としても輪が広がることを目指します。

第2回目としてお話を伺ったのは羽織 愛(はおり あい)さん。

小さい頃から英語に興味を持ち、大学院では英語教育修士を取得され塾講師をしながら英語教育についての研究も続けられてきました。現在は子ども英会話スクールSUNNY BUNNYと英語自在を運営され、日本にいながらバイリンガルを育てる「日本バイリンガル化」に向けてご尽力されています。


第1部では産前として、1杯のお味噌汁でつわりが改善した助産院との出会いや、お酒の力をかりて出産にのぞまれたお話を伺いました。 今回の第2部では、産後から現在までのお話です。赤ちゃんを初めて迎えたご家族の多くが悩まれる夜泣き、ですら羽織さんは愛おしく感じるほど娘さんを大切に育ててきました。その娘さんが15歳になった時、大きな挑戦をしたいと言われ羽織さんの心を大きく揺さぶる出来事が起こります。


<プロフィール>
羽織 愛<Haori Ai>
東京都出身、東京都在住。拓殖大学大学院言語教育研究科修士課程修了。2006年に文京区にて親子英語サークルを主宰し、早期英語教育活動を始める。2019年NPO法人早期英語教育研究会を設立。英語教育の改革をテーマに、効果的な英語指導法を広く伝えている。また「日本バイリンガル化」計画に向け、楽しく、自然に英語が話せるようになるバイリンガル育成スクールSUNNY BUNNYと英語自在を運営。
プライベートでは20代後半に妊娠、長女を出産。




第2部:産後

夜起こされるのも天職だと思うくらいかわいい娘

そして予想外に早く来てしまった子離れとの葛藤


森山:出産後の生活についてお聞かせください

羽織さん(以下敬称略):産後はまた実家にもどり母にいろいろサポートしてもらいましたが、娘の可愛さに私と母の親子関係も良好でした。でも長くいるとまた関係が悪くなってしまうので、わりと早めに新居へ戻りました。

新居に戻ってからも母は度々家に来てくれて、買い出しや子守りなどずいぶん助けてもらいました。

それと産後には区のサポートもたくさん利用しましたね。電話相談ができる窓口があって、何か気になることがあるとすぐに電話をしてました。赤ちゃんの泣き方が違う気がするとか、咳が出てるけどどうしたらいいかなど、助産院にも区の窓口にもずいぶんお世話になりました。

実は産後、上手く歩けなくなった期間があったのです。ちょうど助産院での定期健診で行った時に歩き方をみてもらったら骨盤が歪んでいると言われ、その場ですぐに直してもらいました。触診のような形で子宮の位置を中から矯正してもらったのですけど、とても不思議な感覚でしたね。



初めての子育ては分からないことだらけで、そこで相談できる窓口があるのは精神的に大きな支えですよね。

赤ちゃんが生れてからご自身のライフスタイルが変わったと思いますが、いかがでしたか

羽織:天職だと思いましたね。

私は結婚するまで昼夜逆転のような生活をしていたんです。13~22時までの塾講師として働き、帰宅してからも明け方くらいまで自分で教材を作ったり勉強したりと研究をする日々を過ごしていました。だから夜起きていることに対しても全くストレスを感じなかったし、むしろ赤ちゃんに合わせて24時間関係なく寝たり起きたりするのは苦痛ではなかったですね。

世の中には面白いことがたくさんあるのに、何で寝なくてはならないのかと思うほど寝ること自体もあまり好きではなかったし、夜の静かな雰囲気が好きだというのもありますが、夜中に起こされても苦痛というよりむしろ嬉しかったです。昼間も一緒にお昼寝したり、数時間ごとにリアクションしてくれる娘が本当に可愛くて、何時間見ていても飽きることがなかったです。

一方で適当な部分もあって。助産院の先生に「赤ちゃんは泣くのも仕事だからね」と言ってもらえたこともあり、抱っこのしすぎで手が腱鞘炎になったり疲れていたりすると、娘が泣いていても「かわいいな」と思ってぼーっと見ていたりした時もありました。本当にただただ娘の可愛さを愛でていましたね。



赤ちゃんには何時間見ていても飽きない可愛さと魅力がありますよね。

助産院とのお付き合いは産後も続いていったんですね

羽織:そうですね、本当に子育てに関しては妊娠中から全て助産師さんのおかげがほぼ100だと思っています。出産後には定期健診や何かあるとお世話になっていましたし、マタニティーヨガや母乳講座なども実施してくれて、その場でお母さん友達を作る機会を提供してくれていたのです。出産や育児に関しての情報交換をしたり、そこで知り合ったお母さん達とは子どもが小さいうちは密に連絡を取り合っていたし、いまでも関係性が続いています。

あとは離乳食に関しても素晴らしい考えを教えてもらいました。専門知識のある栄養士さんからしたら賛否両論あると思いますが、私が助産師さんに教えてもらった方針は最初からいろいろな離乳食をださないという考え方でした。

一般的に言われている離乳食は生後5-6か月くらいになったら、おかゆから始めて、一週間ごとに食材を増やしていくのが主流だと思います。私が助産院で習った考え方は2歳まで出来るだけ母乳だけで育てて、2歳以降に離乳食をあげたいんだったら始めればいいというものでした。離乳食も始めは一週間おかゆだけをあげて、固形物を食べることに慣れさせる。問題が無く進めることができたらお芋をまぜて、それが身体に合うのかを見ながらゆっくりゆっくり進めていくというものです。

とてもシンプルだし、卵や小麦粉などアレルギーの原因となる食材をそもそも食べさせないから、アレルギーになる心配が要らないんです。大きくなると何でも食べれるようになるし、食べてリスクになるならある程度大きくなるまで与えなければいいという単純な話です。 とにかくラクだし、アレルギーになるかもという心配になる要素がないので私には合っていました。



確かにリスクがあるものを早期にあげるのではなく、そもそもあげないという選択肢は新しい視点です。

しかし娘さんも親御さんの食事などを見て欲しがりませんでしたか

羽織:2歳になるまでできるだけ母乳でという考えなので、実際には0歳と1歳の時に母乳でというものです。2歳になるまでに母乳が終わるって感じです。なので私も母乳だけで育てていたのは1歳数カ月まででしたし、1歳過ぎからはお米も少しずつあげて、母乳の割合を減らしていきました。でも授乳しているとスキンシップも取れるし、免疫力もあげることができるからとてもいい考えだと個人的に思っています。2歳まではまだまだ甘えたい年頃だし、子どもはお母さんのことも母乳も大好きだから、ママのおっぱいや抱っこに勝るものはないですよね。

もちろんそれぞれご家庭の事情で保育園に早くから預ける方は離乳食に切り替える必要もあるし、母乳が思うように出ない人もいると思います。それぞれ自分にあった方法で選択すればいいと思いますが、生後5-6か月になったからすぐ離乳食へという一般論に固守する必要もないんじゃないかなと思いますね。



英語教育をスタートさせるきっかけはどのようにして始まったのですか

羽織:子育てはしていたけど、以前のように英語教育やレッスンがやりたいなと思っていました。その想いをママ友に話してみたら「500円くらいで教えてよ」と言ってくれて、幼児の英語教育方法は知らなかったのですが、やってみようと思うようになりました。

大学と大学院で英語教育についてとことん学んできたのですが、主な対象は小学校高学年から中学生の研究でした。0歳や幼児に対してどのように英語教育を行ってよいのか分からなかったので、そこから本をどんどん買って研究をする日々が始まりました。

実際にママ友を呼んで始めた英語教室は学びながら試行錯誤を繰り返す日々でした。もちろん大好きな娘も一緒に連れてワークショップを開催しました。

自分の子どもを連れてレッスンをするのはとても大変で、娘が泣いてしまい私が集中できないことも多々ありました。その度にママ友やスタッフの方へ「泣いている娘の姿が見えなくなるまで、娘を連れだして欲しい」と頼んでレッスンは続けたのです。娘はもちろんかわいいですが、泣かれてしまうと仕事のクオリティが下がるのでこちらも困ります。仕事とプライベートの感情は別であるべきだと思っているので、その点ではきっちり分けていました。

それも1時間くらいのレッスンの間だけです。教室が終わってしまえば「泣いちゃってかわいそうだったね、よく頑張ったね、偉かったよ」と娘へ愛情を伝え甘々でした。本当に娘のことが大好きだから、今日まで1日でもかわいいと言わなかった日がないくらいベタベタなんです。 娘も褒められるというご褒美が嬉しかったみたいで「私が仕事をすること=娘に寂しい思いをさせること」とはなってなかったと思います。



愛情をきっちり伝える、大事なことですね。

羽織さんが子育てをされてきた中でポイントにしていたことはありますか

羽織:そうですね、ある程度大きくなったら自分で考えて物事を選択できるようになって欲しいと思っていたから、可愛いから言われるがまま何でもOKにするのではなく小さい頃からの取捨選択にはこだわっていましたね。

例えば、テレビです。娘が小さい時はテレビを一切見せずに育てました。テレビが見たいと言われれば私が厳選したDVDだけが見れるシステムです。だからテレビというのはずっと映っているものではなく、繰り返し巻き戻して見れるもの、一定時間がたてば画面が真っ黒になり終わるものと娘も思っていました。5歳くらいになると他の家がそうではないことが分かる頃になります。私はその時までに何で制限をしていたのか、小さい子どもにも分かる言葉で伝えてきたので、娘も自分で選択できる年齢になると、ちゃんと自分で考えて選べるようになってきます。物事にはメリットとデメリットがあり、ただその場の気分やなんとなくで選ぶのではなく、自分の力で考え選択する力を付けてほしかったから。

小さいうちは簡単ですが年を重ねるごとに難しくなってきます。子どもにも知恵がつき自分の考えがでてきて、親と意見が対立することも出てきます。 その時に感情に流されて反発しあうのではなく、お互いの意見を伝えあい妥協点や落としどころを見つけて解決できるようにして欲しいから、小さい頃から自分で考えて選ぶトレーニングをしてましたね。



お互いが意見を言い合い、落としどころが見つけられる親子関係は信頼しあっているからこそできることですね。

現在16歳になられた娘さんですが、反抗期などはありましたか

羽織:反抗期とは違うのかもしれないですが、15歳の時に突然イギリスに行きたいと言われたんです。小さいころから私の英語教育を受けてきたのでいつか外国へ行きたいと言い出すのは分かっていました。だから私も休暇を取って一緒にイギリスへ行こうとしたら「ママは来なくていい、1人で行きたい」と言われてしまったんです。

とても、とてもショックでした。いつか親から離れる時がくることは分かっていましたが、大学生になるまでは一緒に暮らしていけると勝手ながら思っていたんです。まさか高校1年生の15歳で言われるなんて思ってもみなかったから、まだ3年間は近くに居てお母さんをさせてくれると思っていたから、本当にショックで。

でも言語学者として研究をしている身としては娘の意見もよく分かっていました。娘は高校生になる時点ですでに英語が話せるようになっていましたが、もっと上のレベル、ネイティブのような英語力をつけるには大学生からでは遅く、高校生から行く方が伸びること、若いうちに現地の学校へいき英語を日常にすることでレベルが伸びることを。だから今、行かせてほしいという娘の筋の通った意見には何とも言えませんでした。

本当に苦しかったです、身を引き裂かれるような悲しみで。自分のやりたいことにまっすぐな挑戦したい娘を応援はしたい、でもまだ一緒にお母さんをさせて欲しい、娘への子離れが予想外に早く来てしまったことへの戸惑いと葛藤は最大の苦しみでした。

結果的に、娘は昨年からイギリスへ留学しています。留学中でも毎日電話はしていて休学期間は日本に戻ってきてくれます。あの時は子離れに対して苦しい想いをしましたが、今となっては自分のやりたいことに対して決断できた娘がとても誇らしいです。 反抗期は親に対する攻撃だけでなく、我は何者なんだと自分と向き合う時期でもあると思います。一般的な反抗期とは少し違うかもしれませんが、今の成長過程、高校生らしい波紋なのかなと思い見守っています。




第3部へ続くhttps://mizani.jp/%e3%80%90interview%e3%80%912-3/



第1部「全てが変わった助産院との出会いコチラ  https://mizani.jp/%e3%80%90interview%e3%80%912-1/



羽織さんが代表を務める楽しく、自然に英語が話せるようになる英会話スクール】はコチラ

子ども英会話スクールSUNNY BUNNYhttps://sunnybunnyinfo.com/

英語自在https://freely.eigojizai.jp/



インタビュー・ライティング/森山 千絵