産前産後のお母さんやそのご家族へ、出産に関する体験談をお伺いするインタビュー企画。この企画を通して、これからお母さんになる方やそのご家族の不安・悩みの緩和だけでなく、出産経験者には自身の体験を振り返る機会にもなります。また皆さんの想いが自由に言える場としても輪が広がることを目指します。

第3回目としてお話を伺ったのは白水 純平(しらみず じゅんぺい)さん。

ご両親が教師をされていた影響とさまざまなご縁が重なり、現在は鹿児島県にあるひより保育園の園長先生/そらのまちほいくえんの取締役社長をされています。自分の理想である保育園を目指し、両保育園では2歳児から包丁を持つ食育活動や、調理に参加します。また園児達が企画から運営を行う1日限りのレストランを開業するなど、さまざまな活動に挑戦し子ども達の可能性を引き出す保育をされています。

熊本の大学を卒業後、税理士事務所に勤務され、プライベートでは地域活性のイベントで将来の奥様と出会われお付き合いが始まります。熊本と鹿児島での恋愛中に奥様の妊娠が分かり、奥様の故郷である鹿児島で新生活を始めた白水さん。妊娠中、つわりで苦しむ奥様をサポートしながら妊婦健診にも全て一緒に通われ、分娩時にも立ち会い出産を体験されます。また産後にも積極的に育児に携わり、自身でも予想していなかった保育園の園長に転職されます。自身が求めていた保育園を作りながら、これまで多くの子どもと保護者に携わっている園長先生として、子育て中の親御さんへのアドバイスも伺いました。


<プロフィール>
福岡県出身、鹿児島県在住。ひより保育園園長、そらのまちほいくえん取締役社長。熊本大学法学部卒業後、税理士事務所で多くの企業をサポート。新規事業や新サービスを行う事業者に共感し、業務時間外でもお手伝いや支援を行う。結婚を機に鹿児島県へ移住し、個人事業主へ転職。保育園の立ち上げメンバーとして声をかけられ、2016年に企業主導型保育事業:ひより保育園園長となる。地域の人との関わりを大切に、のびのびと子ども達が育つ場を目指し保育活動を行っている。 プライベートでは20代後半に長男、30代に次男と長女が誕生。




第1部:産前

妊娠がくれた大きな転機

妊婦健診に付き添い育児のスタートラインをそろえておく


森山:奥様が妊娠されるまでにはどのような経緯がありましたか。

白水さん(以下敬称略):妻と出会ったのは地域活性支援でのイベントでした。その当時の僕は熊本にある税理士事務所で働きつつ業務時間外にプライベートで立上げ事業のお手伝いもしていて、妻は東京で地域活性や人材育成のNPO法人に勤めていました。その時、全国の同業種で働いている人達が合同研修をする講演会が開かれて、そこに参加したところ妻に出会ったのがきっかけです。

妻も東京に出て3-4年経っており、翌年には故郷である鹿児島へ帰る予定でした。情報交換や仕事での交流を深めていく中でお付き合いすることになりました。熊本と東京での遠距離恋愛が続き、妻が鹿児島に帰ってきて1年ほどした時、妻が妊娠したことが分かりました。



遠距離恋愛中に妊娠が分かったわけですが、その時の率直なお気持ちはいかがでしたか

白水:喜びと驚きと「じゃあそろそろ結婚だな」と覚悟が決まりました。

妊娠が分かった時は熊本と鹿児島だったので近くにいたわけではないのですが、お付き合いをして2年ほど経っていて「結婚するならこの人だな」と僕も思っていました。お互いに結婚を意識していた時だったのもあり、妊娠自体に戸惑いはありませんでした。ただこれからどこでどう暮らすかなど決めなきゃいけないなという迷いはありましたが、妊娠が結婚に踏み出すいいタイミングをくれたんだなと思います。

それからどこに住むかを考えました。僕は福岡出身ですが、大学から熊本で8年ほど1人暮らしをしていましたし、妻は地元である鹿児島。2人での新生活を始めるなら、福岡、熊本、鹿児島の3県のうちどれかだなと思いました。また僕たちはお互いに仕事が好きで、子どもが生まれてもしばらくしたらフルタイムで働きたいと思っていました。だからいずれ始まる子育てを考えると、妻の実家に近い方がサポートをしてもらえるし、双方にとって良いのではないかと考え、鹿児島で新生活を始めることにしました。

鹿児島での新生活を始めると決めてからは、とても忙しかったです。

新居探し、両家へ結婚のご挨拶、結婚式と自分の転職。期間でいうと2ヵ月くらいの間だったのですが、その間に会社へ退職届を提出し、人脈作りを広げる意味でもしばらくの間は妻と同じ会社でお世話になりました。



妊娠が分かり、引越、結婚、転職と慌ただしい日々でしたね。

お2人の新生活が始まりますが、妊娠中の奥様には何か変化がありましたか。

白水:つわりがひどかったです。

一緒に暮らし始めたのは妊娠4カ月くらいの時だったのですが、吐きつわりが結構ひどくて食べれないものが増えたり、臭いがダメになったりと大変そうでした。妻自身も「こんなにつわりってひどいんだ」と本人も戸惑っている感じでした。

2人で暮らすのも初めてだし、妊婦さんと暮らすのも初めて、探り探り妻の身体を第一に考えながら過ごしていました。ただ、妊娠する前の妻と暮らしたことが無かったので、妊娠を機に何かが変わったとかはなく、あまり気にならなかったのも事実です。僕は8年間1人暮らしをしていたから家事や料理も出来たし、家事はやれる時にやれる人がやろうと前もって話していたこともあり、誰が家事をやるのかなどのケンカはなかったです。

つわりも安定期に入るとだいぶ楽になりました。体調が良くなってきたのはよかったのですが、夫婦2人だけで生活できる時間も短くなっていていると分かっていたので、今のうちに出来ることをしようと決めていました。安定期以降は飛行機に乗って旅行へ行ったり、美術館に行ってじっくり絵画を楽しんだりと、子どもがいると気を使ってなかなか行けない場所へ行き、限られた夫婦だけの時間を楽しみました。



子どもはかわいいですが、行きにくくなる場所があるのも事実ですよね。

妊娠中に白水さんが気を付けていたことなどありますか

白水:そうですね、子どもと関わるのは好きだし、出来るかぎり妊娠期間中は妻と一緒に体験しようと思い、妊婦健診にも全て一緒に行きました。初回の妊婦健診に行ってみて「これはずっと一緒に見ていきたいな」「いけるといいな」と思って付き添うようになりました。

そうして妊婦健診や両親学級(※1)に参加した自然の流れで、分娩にも立ち会いました。分娩自体は病院での出産で安産な方だったと思います。陣痛が来てからずっと一緒に立ち会わせてもらい、日中に自然分娩で長男を出産することが出来ました。

長男がお腹から無事に出てきてくれた時は、嬉しさと「あぁ本当にでてきたんだ」という安堵感がありました。それと妻に対して頑張ってくれたなという感謝も同時に感じました。つわりがひどくて体調不良の様子も、妊婦健診に一緒に行ったことも、陣痛が来ていきんでいる姿も離れることなく付き添わせてもらえたから、本当に頑張って産んでくれたなという感謝の気持ちがとても大きかったです。

保育園で働いていると、2人目や3人目の出産を迎える保護者の方もいらっしゃいます。このコロナ禍となり立ち合い出産が難しく、出産後も退院するまでは家族でも会えないという病院が多くなっているので、僕の場合は立ち合い出産できる選択肢があったことがよかったなと思います。

妊婦健診や両親学級など出産前に一緒に行くと、いまの妻とお腹の赤ちゃんがどういう状態なのか分かります。両親学級などでも分娩に向けてどのように身体と心が変化していくのかが分かるので、妻と同じ情報を共有できます。あいまいなイメージではなく、しっかりとした知識として知っていればサポートの仕方はずいぶんと変わりますよね。これから共に子育てをしていくパートナーとして、出来る限り同じ体験をしていくことでスタートラインをそろえることは、その後の子育てへのやりやすさの面でも大切だなと感じました。




第1部終了

※1 両親学級とは、妊婦さんとパートナーが一緒に妊娠・出産・育児について学んだり、赤ちゃんのお世話を体験したりする場。自治体、病院や産院、民間企業などが主催している場合が多く、医師、助産師、看護師といった専門家から直接アドバイスを受けることができる。(ステムセル研究所HPより)



■第2部「夫婦共に子育てをする」はコチラ→https://mizani.jp/%e3%80%90interview%e3%80%913-2/




インタビュー/ライティング:森山 千絵