産前産後のお母さんやそのご家族へ、出産に関する体験談をお伺いするインタビュー企画。この企画を通して、これからお母さんになる方やそのご家族の不安・悩みの緩和だけでなく、出産経験者には自身の体験を振り返る機会にもなります。また皆さんの想いが自由に言える場としても輪が広がることを目指します。

企画初めの第1回目としてお話を伺ったのは是枝 貴子(これえだ たかこ)さん。

助産師としての経験を活かし、産前産後のお母さんや赤ちゃんを銀座にあるサロンで日々ケアされています。これまで数多くのお母さんと赤ちゃんをサポートされている是枝さんにご自身の経験として、1人目の妊娠~育児までのお話を森山が伺い、3部にわけてお伝えします。

不妊治療を経て第一子を妊娠。妊娠中はつわりで体調がままならない中でも、予定日前日までママとベビーのケアをされていたと言います。 また出産後にはご自身のみならず旦那さまにも産後の影響があったそうです。


<プロフィール>
是枝 貴子〈Koreeda Takako〉
鹿児島県出身、東京都在住。産婦人科勤務時代は助産師として多くの出産に立ち会う。同時期に骨盤ケアの重要性を知る講座に出会い衝撃を受ける。その後助産師、鍼灸師、カイロプラクティック等の数多くの資格を取得。妊婦さんに安心して出産に臨んで欲しいという想いから、銀座にて産前産後のママとベビーのためのヘルスケアサロン「マミーサロン」を2006年に開業。これまで5万人以上のママとベビーをケアし支持されている。 プライベートでは30代中ばに不妊治療を経て長男を出産。30代後半に長女を出産。




第1部:産前

「生命の神秘と愛おしさを感じた」不妊治療を経験したからこそ見れた景色


森山:初めての妊娠までにはどのような経緯があったのでしょうか

是枝さん(以下敬称略):赤ちゃんが欲しいなと思って1年間は自然のタイミングに任せていたんです。だけどなかなか授からなくて…。「1年経ってもダメだったら体外受精にしよう」と主人と前から決めていました。

不妊治療にはホルモン療法や人工授精などさまざまな方法や段階があります。段階を経て体外受精などの高度な治療に移行するという方が多いのですが、私の場合、人工授精などは行わずタイミング療法からすぐに体外受精にステップアップしました。

私は自分の妊活に関してオープンにしていたので、マミーサロンに通われている方々から経験談や病院の評判とかもいろいろ教えていただけていましたし、高齢出産という年齢的な問題や自身の基礎疾患の状態、会社の経営者としての立場、その他さまざまな状況を踏まえたうえでの決断でした。



事前にいろんな方から体験談としての情報をもらえていたのは心強いですね。当時のお気持ちはいかがでしたか

是枝:治療に臨むにあたりドライな気持ちで過ごそうと決めていました。いつ授かるか分からないし、そもそも授からないかもしれないし。終わりの保証もないことだからこそ、結果に対して一喜一憂しないでドライな気持ちで臨もうと思っていました。

私の選んだ病院が業務的というのか感情を介入させないさっぱりとした病院だったのも関係していると思いますし、むしろ私には合っていました。とにかくドライに、気持ちに引っ張られないように臨んでいましたね。



そうですよね、気持ちに引っ張られないようにというのは大事なことかもしれませんね。治療はどのくらい続けられたのでしょうか

是枝:治療を開始してから半年後、受精卵を移植することになりました。

移植したからといって上手くいく保証もなく、いつ終わるか分からない不安の中での移植となりましたが、自分の分身でもある受精卵を見た時はとても感動しましたね。

自分の卵はこういう卵ですよ、受精卵はこういうふうになっていますよ、これを移植しますよって実際にモニター画面を通じて見せてもらっていたんです。段階を追って見てきたので、すでに愛着というのか卵に対して愛おしさも感じていました。自分の一部である卵が変化し受精卵になり、その変化を自分の目で見ることができた時、生命の尊さや奇跡の連続でこうやって生きていられるんだって、生まれてくるんだって強く実感することができたんです。

私はこれまで助産師として数多くの出産場面に立ち会ってきて、生命の神秘や誕生のすばらしさを感じてきていましたが、生を受けるっていうこと自体が本当にすごいことだし奇跡的なことなんだって。改めて助産師としての深さというか、やっぱり命の誕生はすごいなって感激しました。

比較するのはちょっと違う気もしますが、不妊治療をせず自然妊娠をしていたら、自分の卵子を見ることもなかったでしょうし、妊娠することが奇跡の連続であることも実感できていなかっただろうなと思います。私が母になるためにはこの経験は必要だったと後になって思います。

運良く3回目の移植で着床した時、素直にやっぱり妊婦さんになれて嬉しかったです。でもこの先何があるか分からないからドライでいるという軸は変わらず、嬉しい気分が出すぎないように自分を自制し続けました。



不妊治療をしたからこそたどり着いた境地なのかもしれませんね。

その後の妊娠期間中にはどのような心や身体の変化があったのでしょうか

是枝:妊娠5週目くらいから出産を迎えるまでずーっと吐きつわりがありました。日によって強弱はありましたが何を食べても吐いてしまうのは想像以上につらかったです。プライベートで悩んでいた時期でもあったことも関係してつわりが余計にひどかったんだろうなと思います。

吐きつわりを経験された方ならお分かりいただけるかと思いますが、吐きやすいものを食べて栄養を補っていました。食べないと赤ちゃんにも影響が出てしまう、でも食べると吐いてしまうの繰り返し、いつ終わるか分からないしとにかくつらかったです。

一般的に安定期まで何があるか分からないので妊娠5か月くらいになるまでは職場にもオープンにしない方も多いと思いますが、私の場合は不妊治療の段階からスタッフやお客さまへ公表していました。 完全予約制の仕事をしているので自分の体調変化などで皆さまへご迷惑をかけてしまう可能性もあるからです。結局、つわりがひどすぎて隠しておくことができなかったというのもありますがね。



吐くことが分かっていても食べなければいけないというつらさ、大変でしたね。お仕事はお休みされたんですか。

是枝:つわりがひどかったので一時的には身体を休ませることもしてみましたが、何も変わりませんでした。だったら自分の好きなことである仕事をしている方が、気持ちも紛れるしメンタル的にも良いので仕事を続けることを私は選びました。

一方で自分が仕事をするという選択をした以上、妊婦である私に切迫早産などの症状がでて入院が必要になったり、赤ちゃんにアクシデントが起きては絶対にいけないとプレッシャーもありました。 妊婦さんへ安全安心なお産に臨んでもらえるように日々のケアを行っている私に何かあっては、それ以降の信頼や説得力が無くなってしまいます。自分のケアも出来ていない人に、お客さまはお任せしようと思わないですからね。だからいつも以上に自分の身体と向き合いました。骨盤とお腹をサポートするさらしなどのアイテムはもちろんのこと、ストレッチをしたり体操をしたりとサロンで妊婦さんに行っている技法を自分に施し、自分の身体と向き合うケア時間を必要以上に取りました。



プレッシャーの中でもメンタル面を優先しお仕事を続けられたんですね。どのくらいまでお仕事をされたんですか。

是枝:自分の身体、特に骨盤についてはよく理解していたので、予定日より遅れることは確実だと思って働いていました。なので予定日前日まで予約を入れていたんです。もちろん正期産となる37週以降にご予約をいただいたお客さまには変更やキャンセルの可能性もある旨をご理解いただいたうえでご予約をいただいていましたけど、結果的に予測通りに予定日前日まで働き、マタニティ期を全うしました。

私のように身体がつらいけど多少無理にでも仕事をして身体を動かした方が良いというアドバイスは、助産師としてはとても出来ません。むしろお勧めいたしません。ただ、自分のメンタルが心地よい選択をした方がよいとは思います。私の場合は仕事が好きだから、働き続けることを選びました。いろんな過ごし方がありますが、自分が選んだからには責任をもつべきだとは私は思いますね。

そしていざ予定日になり、健診にいきました。お産が進むように促してもらってから、前駆陣痛やおしるしが来てだいたい2日間くらいかけて自然分娩で生まれました。そもそも自分の骨盤では帝王切開になる可能性も高いだろうなと思っていたので、よく経膣で産めたなというのが率直な感想です。



マミーサロンはこちらから→ https://www.mommy-salon.com/




第2部へ続く: https://mizani.jp/%e3%80%90interview%e3%80%91/


インタビュー・ライティング / 森山 千絵