産前産後のお母さんやそのご家族へ、出産に関する体験談をお伺いするインタビュー企画。これからお母さんになる方やそのご家族には、不安・悩みも多いと思います。子育ては十人十色ですが、誰かの経験を知ることで選択肢が少しでも増え、悩みの緩和に繋がると思い、先輩たちの実体験をお届けします。

第11回目としてお話を伺ったのは217..NINA(ニーナ)さんです。

ニーナさんは写真家/フォトグラファーとして、東京とロサンゼルスを拠点に写真集、CDジャケットなど多くの作品に携わられています。OneLuckの撮影でもお世話になりました。

“結婚”という形にはこだわっていなかったと話すニーナさんは、娘さんの妊娠を機に入籍されます。なかなか進まなかったお産はお姉さんの激励により一変。産後は抱っこから離れられず寝不足の中、Youtubeのコメント欄から涙が止まらなくなり、大きな気づきを得ます。

育児と仕事に真っ最中の体験談を伺いました。


<プロフィール>
217..NINA
鹿児島県出身。東京都在住。日本人の父と日系米国人の母の間に次女として誕生。15歳でアメリカ留学、芸術系の高校LACHSAにて美術科を選考し、アメリカ・イタリアにてアートを学ぶ。高校卒業後、日本に戻り音楽関係、芸術関係の仕事を経て21歳で再び渡米。2018年よりファッション雑誌、写真集、CDジャケットなど東京とロサンゼルスをベースに様々な写真表現を行う。子どもたちへの教育支援に繋がる団体への寄付活動も行っている。
プライベートでは30代に女の子を出産。




第1部:産前

産後の仕事に対する不安

姉の激励で進んだお産




森山:妊娠までの経緯について教えてください。

ニーナさん(以下敬称略):アメリカと日本を行き来している30代中半に、夫となる彼に出会い、すぐにお付き合いをするようになりました。

私は30歳の時に離婚を経験しています。結婚の重みや責任を知ってるからこそ、「結婚」という形にはこだわらず彼とは一緒に居たいなと思い、お付き合いをしていました。「結婚しなくてもいいし、子どもが出来なかったら、2人で過ごしていけばいいしね」とお互いに話していたくらい、妊娠や子どもに対して強く意識はしていませんでした。


ある時、出張でアメリカに向かっていました。いつもより眠気が強く「今回の時差ぼけは激しいな」と軽く考えていました。しかしあまりの睡魔に「まさか、妊娠してるのかな?」と半信半疑で妊娠検査薬を試してみると、妊娠していると分かりました。


「えー!本当にー?!」と驚き「この先どうしよう」という不安の方が喜びよりも正直大きかったです。数カ月先は仕事のスケジュールで埋まっていたし、メキシコ出張も控えていました。



森山:予想外の妊娠、驚かれましたね。旦那様には帰国後に話されたんですか。

ニーナ:夫には電話で話しました。「子どもが出来たら、それはそれで」と以前から話していたのもあり、すんなりと受け入れ喜んでくれました。「結婚」に対しては少し抵抗もありましたが、日本の制度的にも子供のためにも結婚をした方が何かと有利なので2人で相談し、入籍しました。


妊娠初期の頃は食べつわりがありましたが、大きな体調不良もなく、予定日近くまで仕事をしました。妊娠4カ月の時にはメキシコ出張にも行きましたし、カメラマンの仕事は立ちっぱなしで重たい機材の移動もあります。身体には少し負荷がかかったかもしれませんが、仕事に没頭することで妊娠に対する不安を感じずに済んだのかなとも思います。


しかし一時は先々の不安で泣いた日もありました。フリーランスとして働いている私には出産後の育児休暇はありません。自分が休んだ分だけ収入はなくなるし、仕事も減っていきます。「出産後、私は仕事を続けられるのだろうか、無くなってしまうのではないか」と仕事に対する不安でいっぱいになり、夫に想いをぶつけた時もありました。

夫は「大丈夫、何とかなるよ」とやさしく接してくれましたが「そんなの分からないじゃん」と私は夫に突っかかっていましたね。


その一方でとても有難いことに、周囲には同じ時期に妊娠した友人と半年早く2人目を妊娠した姉がいました。姉や友人達とよく話しましたし、旅行や食事にも行きました。そうやってストレスを発散でき、共感してくれる人が近くにいてくれたのは本当に幸運でした。





森山:お友達もお姉様の存在も心強かったですね。分娩はどのように進んでいったのでしょうか。

ニーナ:姉が近くに住んでいたのと、産後1カ月は実家のママが手伝いに来てくれる予定だったので、里帰りはせず、姉と同じ自然分娩に特化した病院での出産を決めました。

予定日1カ月前から分娩当日に向け、湯舟につかり、マッサージをしたりと準備を進めましたが、予定日になっても産まれる気配はありませんでした。


そして予定日当日の午後、検診に行くと「子宮口は開いていないが、羊水が減って胎児が苦しいかもしれない」と診断を受け、そのまま入院して様子を見ることになりました。「なるべくなら自然なお産を」という方針の病院なので、子宮口を開く処置を受けましたが、何時間経っても一向に開きませんでした。

その後もお産を促すために促進剤の点滴を受けたのですが、そこからお腹を下してしまいました。3畳ほどの狭い部屋の中で一晩中、トイレとベットの往復。トイレに行く度に胎児の心拍を測る機材がずれてしまい、その度に助産師さんが来てくれ、ほとんど寝ずに明け方を迎えました。

「促進剤も打ったし、子宮口も開いているはずでしょ」と午前中の診察を受けたのですが、そこでもほとんど開かずの状態でした。



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分娩に向け体力を温存するため、助産師さんの勧めで睡眠薬を飲み、少しベットでうとうとしていると「1時間だけ時間が空いたから」と姉が応援に駆けつけてくれました。

姉は「なんで寝てるの?歩かないと終わらないよ」と私に言い、「歩け!歩け!」と催促し、狭い空間で点滴棒を持ちながらグルグルと歩き続けました。

歩いていると徐々に陣痛が来たのか、お腹が痛くなり便意も感じるようになりました。

「痛いよ」「トイレ行きたい」と訴えても、姉は「まだまだ、歩きなさい。出ちゃっても大丈夫!とにかく歩かないと終わらないよ。終わらせたいでしょ!」とさらに激励され、時に痛みのあまり叫びながら、便意に耐えながら、姉と夫に見守られながら歩き続けました。

30分ほど歩き、助産師さんに計測してもらうと、あんなにも開かなかった子宮口が開いていました。

「これなら自然分娩で産めるかもしれない」という判断で、急遽分娩台へ上がりました。ちょうどそこへママも駆けつけてくれて、3人の立ち合いのもとお産が進んでいきました。


分娩室でも助産師さんかと思うくらいに姉の激励は変わらず、声をかけてくれました。そして分娩台に上がって20分後、無事に赤ちゃんが産まれてきてくれました。



初めて子どもの顔を見たのももちろん嬉しかったですが、出産が無事に終わったことに安堵しました。みんなが見守ってくれている中、無事に産まれてきてくれてありがとうと心がいっぱいになりました。

数分後、「見守れてよかったよ、じゃ仕事行ってくるわ」と姉はさっそうと仕事へ向かっていきました。1時間の激動でした。




第1部終了 




■第2部「ひとりではない」はコチラから



■第3部「息抜きできる方法を見つける」はコチラから


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インタビュー/ライティング:森山 千絵