産前産後のお母さんやそのご家族へ、出産に関する体験談をお伺いするインタビュー企画。これからお母さんになる方やそのご家族には、不安・悩みも多いと思います。子育ては十人十色ですが、誰かの経験を知ることで選択肢が少しでも増え、悩みの緩和に繋がると思い、先輩たちの実体験をお届けします。
22回目としてお話を伺ったのはバーバラ植村 (ばーばら うえむら)さんです。
いつも笑顔と愛にあふれるバーバラさん。年100回以上の講演活動や個展を開催し、多くの人がHAPPYになるようにと活動されています。
そんなバーバラさんの娘さん達は歌手のAIさんとフォトグラファーの幸さん。好きな事を仕事に成功へと導いた子育てについて伺いました。
第2部は産後です。
アメリカにて国際結婚、第一子出産を経験。幸せな日々を送っていましたが、旦那さんの仕事の都合で日本・鹿児島へ。言葉も通じず外を歩けば指をさされる日々、幼子2人と過ごす孤独な時間に体は限界を超え入院することに。心身ともに弱り切ったバーバラさんがお母さんに助けを求めると、返ってきた言葉は思いもしなかったものでした。
<プロフィール>
バーバラ植村 (Barbara Uemura)
アメリカ生まれ、鹿児島在住。日本人の父とイタリア人の母の間に生まれる。戦後すぐのアメリカで幼少期にはハーフという事で差別を経験。L.A.シティカレッジ卒業後、銀行、議員秘書などを経験。不動産関係の仕事で知り合ったビジネスマン植村久と結婚、1984年に鹿児島へ移住。2年後、義父の勧めもありスポーツクラブ、ダンススクール等を起業。同時にボランティア団体の主宰を務め現在も継続中。コミュニケーション、前向きな生き方などの講演活を年100回以上行うなど精力的に活動している。
プライベートでは2児の母。
第2部:産後
人生を作り直す
「please」と「thanks」
森山: 産後について教えてください。
バーバラさん(以下敬称略):3400グラムと大き目に生まれてきてくれた娘は声量も大きかったです。入院中、他の赤ちゃんは3-4時間毎にお母さんのいるベッドに連れて来られるのに、私だけ1時間くらいで看護師さんが連れて来ました。私も「産後は疲れているから休みたいのに何でだろう」と思い聞いてみると「赤ちゃんの泣き声が大きくて他の赤ちゃんが起きてしまうからお願いします」と言われた程でした。
森山:生まれた時から声量が発達していたのかもしれませんね。退院後はどうでしたか。
バーバラ:2人にとって待望の赤ちゃんが来たから久もよく面倒を見てくれていましたよ。夕方5時に仕事が終わり5時半には帰宅、おむつ替えやお風呂に入れたりと一緒に過ごせる時間を楽しんでいました。
娘が2歳の時、久の仕事の都合で1年間という期限約束の元、日本に移住することになりました。私は2人目を妊娠中、3カ月後には予定日を迎えていたし、日本語が分からない状況だったので不安でしたが、久の実家がある鹿児島へ越してきました。
観光で来るのと生活をするのでは全然違いました。外にでれば「外人」と指をさされたり、避けられるようになり、買い物をしようと思っても日本語が分からない私には何が書かれているのか分かりません。塩と砂糖の違いも分からない。話し相手が欲しくても、久は毎晩帰りが遅く英語を話せる相手は近くにいませんでした。どんどん孤独になり、精神的に追い込まれていきました。
日本に来てから3カ月後、2人目も無事に生まれたのですが、幼子2人の育児と家事、さらなる孤独に追い込まれていき、ある朝高熱で起きられなくなりそのまま入院しました。
診断の結果はストレス。日本にいても何も分からない、日本なんて嫌い、もう日本には居られない、と離婚も視野に入れた程です。
森山:話し相手がいない孤独、お察しします。その後はどのように進んでいったのでしょうか。
バーバラ:困った時があったらいつでも母に話していたから、病院からアメリカにいる母に電話をしました。すると母から怒られたのです。
「自分の人生、自分の責任。寂しい、楽しくないとかマイナスの言葉を言う人生の原因は自分が作り出している。だからもう一度、自分の人生を作り直しなさい」と。
父も母も苦労してきた人達です。父は日本から、母はイタリアからそれぞれアメリカという異国にやってきて仕事・生活をしてきた人達。だからこそ異国で暮らす苦労や大変さはよく知っていました。
でも母の言葉を受けても私はどうしていいのか分かりませんでした。すると母は「その土地について勉強し好きになるように努力しなさい。たくさん本を送るから頑張りなさい」と励ましてくれました。その後、両親、姉、友人たちから英語で書かれた本や雑誌、ビデオテープなどさまざまなジャンルの情報を送ってもらい勉強しました。
入院するまでの私は毎日泣いてばかりでした。久が仕事から帰ってこない時、「なんで帰ってこないの?」「何時に帰ってくるの?」と心配ばかり。自分には出来ない、分からない、マイナスの言葉ばかりを並べていました。
だから退院後は家じゅうに鏡を置き、意識的に笑顔を作り自分を変えていきました。「HAPPY」「最高」「大丈夫」「自分ならやれる」自分にも相手にもプラスの言葉をかけ、人生を楽しむように努力し続けました。3年かけてのべ300冊程の本を読んで勉強しましたね。
さらに日本に来て2年後、お義父さんから「自分で仕事をしてみなさい」と勧めもありダンス教室、英会話、スポーツジムなどの事業を立ち上げました。
森山:「自分の人生、自分の責任」当たり前ですが忘れがちな言葉ですね。いつも笑顔で会う人を幸せにしてくれるバーバラさんですが、子育てにおいて気を付けてきたことはありますか。
バーバラ:意識してきたことは多々ありますが、その一つに「please」と「thanks」は欠かせないですね。この言葉は私の両親から言われ続けてきた言葉です。アメリカに住んでいた時は久も私も当たり前のように使っていました。何かをして欲しい時には「プリーズ」、してもらった時には笑顔で「サンキュ」。
でも日本に来てから、文化や土地柄もあるのかもしれませんが、自然と言わなくなっていたんです。
久も子ども達もテーブルから「ママ、お水」としか言わないようになっていました。
これはいけない、やってもらうのが当たり前になり人に感謝が出来ない人になってしまうと思い、家族に話し実践しました。「何かやって欲しい時にはプリーズを、してもらって時には笑顔でサンキュを言わないと私は動きません」と宣言。
<プリーズ>
×「ママ、お水」
〇「ママ、お水ください」
<サンキュ>
×何も言わずに受け取る
〇笑顔で「ありがとう」と言い受け取る
始めは戸惑っていた久と子ども達も徐々に慣れていき、以前のように自然と感謝するのを思い出してくれました。これはどんな人や環境にいても同じです。人に感謝できなければ、その先の成長も成功も見込めません。
私は毎年チャリティーイベントを開いています。クリスマスの時、子ども達一人づつにジュースを配ります。30人の子ども達に渡した時、自然と「ありがとう」が言えるのは、3人くらいです。それは家庭の中で出来ていないから、言えないのだと思います。感謝する心を育てるのは親の責任だと思いますよ。
第2部終了(第3部は近日公開予定)
■ 第1部「ワクワクした妊娠期」はコチラから
■ 第3部「声かけの重要性」はコチラから
*******************************************************
【ご紹介】
バーバラさんの活動についてはコチラから
インタビュー/ライティング:森山 千絵