産前産後のお母さんやそのご家族へ、出産に関する体験談をお伺いするインタビュー企画。これからお母さんになる方やそのご家族には、不安・悩みも多いと思います。子育ては十人十色ですが、誰かの経験を知ることで選択肢が少しでも増え、悩みの緩和に繋がると思い、先輩たちの実体験をお届けします。
21回目としてお話を伺ったのは中本 裕己(なかもと ひろみ)さんです。
記者・編集者として長年に渡りご活躍されてきた中本さん、還暦を迎えた現在も編集者として記事やコラムを執筆され、情報を届けていらっしゃいます。またプライベートでは56歳で初めて父親に。高齢出産となった分娩では奥様が生死をさまよう事態に。パートナー・父親、また記者として体験談と当時の想いについて著書を元にお話しを伺いました。
第1部では56歳での妊娠報告、生死をさまよう分娩についてお届けしました。第2部は産後です。緊急帝王切開の末、2カ月早く誕生した我が子はNICU(新生児集中治療室)、予断を許さない状況が続いていた奥様はICU(集中治療室)へ移動されていきました。その後の経過や子育ての様子について伺いました。
※本記事は著書「56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました-生死をさまよった出産とシニア子育て奮闘記-」(ワニブックス)を元にお話しをお伺い、編集しております。
<プロフィール>
中本裕己さん(Hiromi Nakamoto)
東京生まれ、東京在住。関西大学社会学部卒業後、産経新聞社に入社。「夕刊フジ」で関西総局、芸能デスク、編集局次長、編集長など歴任。還暦を過ぎた現在も編集者として活躍中。自身の体験談をまとめた著書「56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました-生死をさまよった出産とシニア子育て奮闘記-」(ワニブックス)を出版。 プライベートでは一児の父。
第2部:産後
奇跡の回復につながった面会
生後2カ月から始まった新生活
森山:心筋炎の重症による緊急帝王切開の末、妊娠7か月の時に生まれた息子さん。手術は成功しましたが奥様は昏睡状態が続いていた産後ですが、その後はどのように進んでいったのでしょうか。
中本さん(以下敬称略):7月7日、七夕の夜に産まれてきた息子はそのままNICU(新生児集中治療室)へ、妻はICU(集中治療室)に搬送されていたため2人に会えたのは術後2日後でした。
まずはNICUにいる息子の元へ。生まれてから初めての対面、わずか1,200グラム程で生まれてきた息子は保育器の中ですやすやと眠っていました。「よく生まれてきてくれたな」と感動すると同時に、妻の容態とこれからの事を考えると「父親として自分がしっかりしていかなくては」という責任も感じました。
医師からの連絡があり、次は妻のいるICUへ。
妻は変わらず予断の許さない状態が続いていました。目はぼんやりとしていて焦点が合わず、激痛を緩和させるため鎮静剤の影響で半覚状態。呼びかけには応じませんでしたが、息子の写真をみせると眼球がかすかに動き微笑んだように見えました。
森山:初めて会えた喜びと事態の深刻さ、複雑な心境でしたね。その後、母子の状態はどのようになっていったのでしょうか。
中本:生後4日目には妻も話せる程度にまで回復し、病院の計らいでNICUにいる息子とICUにいる妻の面会を計画してくれました。ICUの妻をベッドごとNICUまで移動し、ついに母子初めての対面。
保育器のフタを開け、ベッドで横になる妻の胸元に看護師さんがそっと息子をのせてくれました。息子は誰に教わったでもないのに、自然と妻のおっぱいを求めよじ登っていったのです。動物の本能であり、母と子のつながりを感じました。泣いている息子はまるで「会いたかったよ。ママ来るのが遅いよ」と言っているかのようで、親子3人がやっと揃ったとても感動的な瞬間でした。
森山:息子さんも待っていたのですね。しばらくは入院されていたのでしょうか。
中本:妻の容態に効く特効薬はなく、基本的には対処療法のみと医師からは言われていました。自然治癒・自身の回復力に任せるしかない状況でしたが、驚く事に息子と会ったその日を境にみるみるうちに回復していきました。科学的には証明できませんが、息子に会い母親としてのスイッチが入ったように感じましたね。
それから数日のうちに妻はICUから循環器病楝へ移動、7月末には無事に退院しました。一方、2カ月早く生まれてきた息子はまだまだNICUでの成長途中でした。コロナの感染状況によって面会制限が厳しくなり、2-3日に1回から1週間に1回へと会える機会は少なくなりました。
秋風が吹き始めた9月下旬、いよいよ退院の日を迎えられました。1,200グラムで生まれた息子も約2カ月間で2,800グラムにまで成長、妻が用意してくれた真っ白なセレモニードレスを着て無事に退院できました。
森山:本当によかったですね。ついに親子3人での生活がはじまりましたが、いかがでしたか。
中本:家族が3人になる事での苦労はある程度予想はしていましたが、想像をはるかに超えていましたね。年齢的な部分も大きいとは思いますが体力勝負です。
コロナ禍と妻の容態もあり、僕はリモートワークと時差出社を行い、交代制で子守りを担当しました。
妻は主に夜中を担当してくれていたので、早朝5時くらいに僕と交代です。朝起きた息子を受け取り、ミルクをあげながらPCを見て仕事を行う日々でした。仕事の合間を見て洗濯機を回したり、膝の上で息子を抱っこしながらリモート会議なども日常でした。
午前中に睡眠をとっていた妻と子守りを交代、午後イチから時差出社し夜に帰宅、息子をお風呂に入れるのが僕の担当でした。夜11時くらいになると体力も限界に達し、一度ベットに横になると夜中に息子が泣いても全く気がつきません。悪いなと思いつつ、夜中は妻にお任せしていました。
森山:「隣で寝ていても赤ちゃんの夜泣きにお父さんは気が付かない」というのはよく聞く話ですよね。奥様は出産後、体調などの変化はありましたか。
中本;妻も僕も抱っこからの腱鞘炎や腰痛には悩まされましたが、大きな体調の変化はありませんでした。ただ、コロナ禍だったため、親子で集まるイベントや遊び場が全くありませんでした。
赤ちゃんを家に迎え入れてから1か月が経った時期に、保健師さんが自宅まで訪問しに来てくれ、母子の健康状態を見てくれるサービスがありました。状態チェックの他にも虐待の可能性等も視察する大事な役割だと思いますが、コロナ禍で非接触としきりに言われていた時期に、新生児の赤ちゃんがいるお宅を訪ねるのは大変な立場だったと思います。
初めての子育てで戸惑いも多い中、コロナ禍で誰ともコミュニケーションが取れず、困り事はネットで調べていた妻にとって保健師さんとの時間はとても有難かったと言っています。昔ながらの方法で息子の体重を測定、悩み事に寄り添い一緒に話ができた事に励まされ、感謝していました。産後うつまではいかなかったですが、コロナ禍と重なり精神的に追い込まれていたのかもしれません。
第2部終了<第3部は近日公開予定>
■第1部「生死をさまよう出産」はコチラから
*******************************************************
【ご紹介】
■中本さんの著書:「56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました-生死をさまよった出産とシニア子育て奮闘記-」(ワニブックス)
■産経新聞と産経ニュース(sankei.com)で、月に1回エッセー「息子は4歳 還暦パパの異次元子育て」を連載中。
インタビュー/ライティング:森山 千絵