産前産後のお母さんやそのご家族へ、出産に関する体験談をお伺いするインタビュー企画。これからお母さんになる方やそのご家族には、不安・悩みも多いと思います。子育ては十人十色ですが、誰かの経験を知ることで選択肢が少しでも増え、悩みの緩和に繋がると思い、先輩たちの実体験をお届けします。
第20回目としてお話を伺ったのは塚田 志乃(つかだ しの)さんです。
「世界に抹茶の素晴らしさを伝えたい」と旦那さんが代表を務めるWorld Matcha株式会社をスタッフと共に支えながら、ひとり起業家のサポートも行う塚田さん。プライベートでは旦那さんの転勤で日本とアメリカを往復しながら、3人の娘さんを育ててこられました。
第2部は産後です。 絶対安静で2カ月間の入院生活、筋力がなくなりほぼ骨と皮だけの状態になりながらも、双子育児が始まった塚田さん。旦那さんはアメリカに戻り、日中は1人で双子のお世話をしていたといいます。授乳ループで寝不足が続き、精神的にも疲弊していた塚田さんは3カ月検診の後、渡米し家族4人の生活がスタート。アメリカで感じた日本との違い、度重なる引越しに対する子ども達へのケアについてお話をうかがいました。
<プロフィール>
塚田 志乃<Shino Tsukada>
大阪府生まれ、東京在住。神戸女学院大学卒業後、大手飲料メーカーに入社。広報・宣伝業務に従事。結婚後、夫の海外赴任を機に退職。日本とアメリカを3往復するなど専業主婦として家庭を支える。2019年、一念発起し起業を決意。ひとり起業家に寄り添うサポートを行う株式会社VANSOを設立。翌年、夫が代表を務めるWorld Matcha株式会社のJapan Country Managerに着任し、スタッフと共に活動中。
プライベートでは双子を含む3人のお子さんの母。
第2部:産後
授乳ループで寝られない日々
相手を想う声かけをくれたアメリカでの生活
森山:妊娠8か月から絶対安静の入院、妊娠中毒症になり帝王切開でご出産をされた塚田さんでしたが、分娩後の生活はどうだったのですか。
塚田さん:分娩後も血圧が高い状態だったので、変わらず絶対安静が続いていましたが、自宅での経過観察を続ける条件の元、大阪の実家に戻りました。
約2カ月間、ベットで寝ているだけの生活ですっかり筋肉がなくなり、まさに骨と皮だけの状態になっていました。それでも育児は辞められません。夫はすでにアメリカに戻り、日中は両親も仕事があるため1人で双子のお世話をしなければなりませんでした。
1人目に母乳をあげてやっと寝たと思いベットに置くと、2人目が起きて同じように授乳をしベットに置く。「やっと私が休める!」と思った矢先、1人目が目覚めてまた授乳をする。それの繰り返しです。体を休める時間、寝る時間がなさ過ぎて、正直赤ちゃんを可愛いと思う前に「寝させてー」という思いが強かったです。
森山:初めての育児が双子ちゃん、1人で見られていたなんて。タイムマシーンがあればすぐに駆け付けて手伝ってあげたいです。
塚田さん:あんな体だったから母乳も十分にでてなかったのでしょうね。ミルクをつかった混合でしたが、なんとなく「母乳をあげないと親として失格」と勝手に思っていて。いま思えばミルクを十分にあげて、赤ちゃんと一緒に私も休めばよかったのですけどね。
寝不足状態が続いたことで両親の何気ない言葉にもストレスを感じていました。「おむつの色が変わってるよ」「泣いてるけどお腹すいてるんじゃない」どれも悪気はないのですが、その時の私にはとてもストレスでした。
「首が座ったらアメリカに戻ろう」と思い、3カ月検診を終えてすぐに渡米し、夫と娘達、家族4人の生活が始まりました。
森山:母乳が良いのはわかりますが、その考え方に苦しむ方も多いですよね。慣れないアメリアでの育児生活はいかがでしたか。
塚田さん:双子育児の大変さは日本にいても、アメリカに居ても一緒ですが、かけられる言葉の深みが全然違うのです。その点において私はアメリカに戻ってきて本当によかったと思えたくらい。
日本にいると、スーパーや道端で全く知らない人達から「双子は年子より楽だっていうからいいわね」「母乳で育ててるの?」「双子?不妊治療してた?」などの言葉をかけられました。
一方、アメリカにいると「ビューティフル」「こんなかわいい赤ちゃんを産んだあなたは最高ね」「いまはとても大変だろうけどあなたは素晴らしいわ。」「見ているだけでこっちがハッピーになるわ」といった言葉をたくさんかけてもらいました。
両方とも何気ないコミュニケーションでの言葉がけですが、私が受けた印象は全然違いました。私もアメリカでかけられたような言葉かけができる人になりたいと思ったし、それだけでもアメリカに戻ってきてよかったなと思えましたね。
森山:同じ声かけでも与える印象は全く異なりますね。その後、しばらくはアメリカでの生活だったのですか。
塚田さん:娘たちが1歳半になる頃、夫の留学期間も終わり東京に戻りました。
自我も芽生え始めた娘達、公園に行っても2人とも全く違う方向に駆け出し「私を試しているのか」と思うような日々でした。さらに自分の思い通りにいかないと癇癪を起すことも多々あり、買い物に行くのが苦痛でした。
スーパーだと子どもを乗せるカートがありますよね。子どもって乗りたがりますが、日本では1人用しかありません。アメリカだと2人用のもあったりしますが、1人しか乗れないとなるともう1人が寝そべって大泣き。どうしようもないので、カート2台を前後にして「すみません、すみません」と言いながら買い物する日もあり、買い物に行くのも嫌でしたね。
また日本では3歳児検診など年齢に応じた健康診断もありますよね。「意味のある言葉を話しますか」「ジャンプができますか」など発達の度合いをチェックするシートがあるのですが、娘達は言葉の発達が遅れていたのもあり「普通はできているのに、うちの子はできないのか」と思い、心が沈んだ時もありました。
森山: これまで日本とアメリカを3往復する生活をされてきた塚田さん。引越しの度に新しい環境になる子ども達のために心がけていたことはありますか。
塚田さん:日本からアメリカに行っても、アメリカから日本に行ってもだいたい同じように子ども達から笑顔が消える時期がありましたね。
表だって「学校に行きたくない」と言うのではないのですが、夜中に泣き出してしまったり、夢の中でうなされていたりしている姿を目の当たりにしました。ある程度年齢も大きくなった時にでも同じようになっていたので、娘達にとって新しい環境というのは大きなストレスになっていたんでしょうね。
そんな時に親である私も同じようにセンシティブになっていたら、子ども達はもっと不安になってしまいます。だからその時の私がどんなに不安で心配になっていたとしてもそれは一切見せないようにしていました。「大丈夫、大丈夫だよ」って娘たちに言い続けましたね。
そのおかげか、娘達は新しい環境になっても「ある程度時間が経てばその環境が都になるんだ」って分かる感覚値を身に着けたと思っています。
第2部終了
■第3部「正解がひとつとは限らない」はコチラから
■第1部「母体に対する認識の違い」はコチラから
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【ご紹介】
塚田さんが携わっている World Matcha株式会社
インタビュー/ライティング:森山 千絵